◆歴史の続き
慶長6年(1601)、西馬音内城主小野寺茂道一族が滅び、土着した遺臣たちが君主を偲び、旧盆の16〜20日までの5日間、宝泉寺(西馬音内寺町)境内で行われた亡者踊りと、西馬音内盆踊りは合流しました。そして、天明年間(1781〜1789)に、現在の本町通りに移り、現在まで継承されてきたものと伝えられます。
その後、大正年間に、いよいよ盛んになった盆踊りに対して、警察当局が「風俗を乱すもの」として弾圧したことが伝えられています。街の人々の抗議も押し問答の繰り返しでらちがあかず、その上、そうした事情で必要な経費も集めることができずに、一時は非常に衰えました。
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